2011年12月3日土曜日

#45 未来人のために

南三陸の朝は、雨で始まった。

8時前に起床し、着替えてから巨大なホールで催される朝食バイキングに向かう。
舞台を前に、そうそうたる食事風景が広がっていた。和洋色とりどりのおかずを取って、食べる。
ホテルの売店では、ここ南三陸町で作られたお土産をいくつか見つけた。タコにちなんだアイテムが多かった。本物の大漁旗をアレンジしたハンチングを見つけ、これが絶対に似合う人へのお土産とした。
窓辺に訪れた鳥
強い風と雨の中、南三陸町の志津川へ向かう。ここと、陸前高田、大槌はいつ来ても切ない。
雨に霞む防災対策庁舎
その後、ベイサイドアリーナへと向かった。
7月に訪れたときは、灼熱の中に多くの避難者が滞在し、ボランティアや関係者、応援に駆け付けたAKB48と、あたりはごった返していたが、今やその喧騒は嘘のように静まり返っている。
同行していたT氏は、通信インフラの復旧のため、多くの若手を被災地に送り込んだと話されていた。被災地の現状を知り、経験を将来のために役立ててもらうために。

志津川を抜ける45号線の両側には、未解体の建物が多数残っており、雨と相まって物悲しい雰囲気が漂っていた。
南三陸を抜けると、45号線はこのあと内陸部へ向かうが、今回は国道398号線で海岸線をたどって南下する。

石巻市は、推定されるがれきの量が、岩手県の全量を上回っており、その量は環境省の推計値で616万トン。
市域は555km2と大きい部類になるが、大船渡市323km2と陸前高田市232km2を足した面積と一致する。ちなみに、岩手県災害廃棄物処理詳細計画における両市のがれき量の合計は約177万トン。

至る所にある浸水した地域を抜け、北上川の橋梁を渡り大川小学校へ。
土砂降りの中、一人の僧が経を唱えていた。
ここで起きた出来事を二度と繰り返さない。そのための努力をしよう、そう固く誓った。

がれきがうずたかく積まれた旧雄勝町の中心部を抜け、女川町へ。少しだけ高いところにある役場は、見る限り3階まで破壊されていた。
丘の上にある町立病院も浸水しており、修復作業に勤しんでいた。
町並みは完全に失われており、ところどころに花が供えられている。そのままの形で横倒しになったビルに、津波の破壊力の恐ろしさを改めて感じた。
横殴りの雨の中、398号線を石巻の中心部へと向かう。道沿いは、ずっと津波浸水の痕跡が残っている。沿線で海岸林のあるところは、建物の被害が軽減されているように思う。

旧北上川の中州にある石ノ森萬画館は、建物こそ原型をとどめているものの、入口にはベニヤ板が打ち付けられ、訪れる客を拒んでいた。
石巻市街を抜け、日和山公園へと向かった。この辺りは10年ほど前に友人のFが住んでいて3度訪問したことがあり、うっすらと残る記憶をたどってみた。Fの愛車、赤い外車のオープンカーに誤ってレギュラーガソリンを給油したスタンドは、跡形もなくなっていた。
やや遅めの昼食をとるため、A氏の希望により「ホット横丁石巻」に向かう。あいにくの雨のため、客足は鈍い。しかし、ウッドデッキの張られた施設は、トレーラーハウスの組み合わせとはにわかに信じがたいクオリティの高さである。
昼食は、大漁盛りの海鮮丼を食べた。
学会のメンバーとはここで別れ、夕方のイベントに間に合うよう、帰路につく。
以前立ち寄った林林館で、あまりの眠さに小休止する。目覚めたら辺りは真っ暗になっており、気仙沼の流れの悪さを避けようと距離優先でナビを設定したら、本吉から気仙沼の間でヘアピンの連続する山道を選択され、ややひどい目にあった。
高田で、昨日と同じスタンドで給油したら、店員さんが覚えていてくれた。

住田に到着し、詩の朗読会「ともしびの声たち」に参加する。
「ろうそくの炎がささやく言葉」という本の出版記念による復興支援チャリティ・イベントである。若干出遅れてしまったところ、M氏が手招きで会場に案内してくれた。
ちょうど、ケセン語の第一人者、山浦玄嗣氏の朗読の途中だった。重々しい声で読み上げれる内容は、残念ながら2割くらいしか理解できないが、いつも聞く地元の言葉のまろやかさとは違った、重厚感が漂っていた。

会場は、しっとりとした空気に包まれている。詩の朗読会への参加は初めてだが、コンサートなどとは違った、別の心地よさに支配されていた。
外国の方が、東日本大震災について詠んだ詩。空想の世界を描いた誌。自らの体験を詠んだもの。それぞれに良さがあったように思う。一番印象に残っているのは、ぱくきょんみ氏が詠んだもので、座敷童のことをつづったものだが、冒頭の「私はこの街を知っています」というフレーズに、少しどきっとした。
最後に、出演者が壇上に上がって会場とのやり取りが始まる。一人目の方が、高田の復興を願って涙され、会場にやや重い空気が漂った。その後、少し笑いも交わり朗読会は終了した。

この後、驚かされる事態が発生する。来場者が、自らの手で椅子を片付けている!
打ち解けたメンバーで行うイベントであればわかるが、三重ではなかなかお目にかかれない。

今日のいろいろな出来事を振り返って、街の復興について思いを巡らせた。
復興とは、未来の人たちのために、今の人たちが街を作っていくことだと思う。今回の津波により破壊されてしまった街は、昔の人たちが復興して作り上げた街である。

チリ地震津波、昭和三陸津波、それぞれがその時代の知見により、様々な角度から調べられ、後世に遺恨を残さないように、様々な取組がなされた。そして、東日本大震災も、未来人のために、あらゆる角度、視点から調査が進められている。

気仙の地でも、三重でも、今に生きる私たちの街づくりのせいで、未来に生きる人たちが悲しまないようにしなければならないと、強く、強く思った。