2013年5月24日金曜日

#119 繰り返す歴史

最近、天気予報に裏切られる日々が続いている。雨が降る予報はなかったのに、なぜか外を走るクルマが水を撥ねている音がする。そして、気温がどうなるか読み切れないため、一枚上着を羽織って出勤する。

今日は、治山初任者研修の最終講義、防潮堤と防災林造成の現地見学に参加するため、H、S両技査とT氏と仙台に向けて出発する。初任者研修自体は、さすがに参加できない...

45号線を南下し、本吉から内陸へ。途中登米にある「林林館」という道の駅で一旦トイレ休憩となる。今日のパートナー、ランクルプラドのドアに貼られた名古屋市のステッカーをしげしげと眺めるお客さんがいた。場内に止まっていた尾張小牧ナンバーのプリウスのオーナーかな...

登米東和ICから三陸道に入る。北上川流域の広々とした風景は、三重とは一味違って興味深い。途中、治山事業施工地を案内してもらうため、矢本ICで降りる。5分ほど走ると、巨大な吹付枠工が施工された現場が見えてきた。

平成15年7月26日、宮城県北部を震源とする内陸直下型地震が連続して発生し、その時に斜面崩壊が発生した。また、当該現場には「矢本横穴墓群」と呼ばれる古墳があり、復旧工事を実施する時点で調査も行われた。
この前後にも施工地がある
鋼製自在枠による土留工
そして、近隣にある「大欠山」へ。こちらも平成15年の地震で損傷し、長期間にわたる復旧工事も完了した。地震直後の状況などはこちら
名称通り、山の一部が欠けた感じの「大欠山」
この施工地は、吹付枠工、グラウンドアンカー、落石防護柵、丸太筋工など、多くの斜面対策工法が取り入れられており、工法を知るためにも良い現場である。

岩手・宮城内陸地震や、平成15年の地震のような内陸直下型地震では、大規模な山腹、斜面崩壊が発生する。震源が近いからか、地震動の周期が原因かはさておき、巨大なプレート境界型地震が発生する前にこの手の地震が頻発するのであれば、三重県でも心づもりをしておく必要があるだろう。

途中、利府にある「仙台っこ」という結構おいしいラーメン屋に寄り、仙台市若林区の荒浜へ。
集合時間より若干早めに到着したため、付近を見渡してみる。駐車場付近には慰霊碑が建っており、石板には犠牲となられた方のお名前が刻まれていた。
地図を見ると、この周辺には市街地が形成されていたが、今は荒浜小学校を除き撤去されていた。
ほどなく、県庁からのメンバーが集合し、現地視察が始まる。
仙台市から山元町までおよそ30㎞に渡って、既設の防潮堤のかさ上げなどが実施される。この周辺では、TP+6.2mで整備されていた傾斜堤をかさ上げし、TP+7.2mで再整備を行う。地盤沈下は0.5m。
手前:整備前 奥:整備後
気仙沼や南三陸などのリアス式海岸とは異なり、仙台周辺は直線的な海岸が延々と続いている。施工スペースなども余裕があり、自らの管内との違いを強く感じる。

そして、林野庁が実施する防災林の造成現場へ。被災した防災林の調査を行った結果、地下水の影響により直根(まっすぐ地中に伸びていく根)の成長が期待されたような状況ではなかったことが判明した。そのため、新植する箇所は山土などで盛土を行う。
防風垣で囲まれた新植地
植栽に関しては、林野庁の「みどりのきずな再生プロジェクト」で連携している市民団体が主体で行っており、14の登録団体が区分されたエリアを管理することになっている。
そして、近日中に行われる植樹に備えて、とある団体のメンバーが植栽用の穴を掘っていた。
また、コンテナ苗も試験的に使用されており、通常は2年生苗のところ、1年生苗も植えられている。成長状況を確認し、良好な結果が得られれば1年生苗を使用するとのこと。
説明を行なわれた県庁の方が、非常に興味深い発言をされた。「昭和35年のチリ地震津波のときは、宮城県は財政再建団体だった。」と。ネットで調べてみると、1956(昭和31)年度から1963(昭和38)年度までの8年間とある。少し詳しく調べてみる必要がありそうだ。震災以前でも、2009年に発表された財政の見通しでは、2011年には財政再建団体に転落する可能性があると発表されていた。
現在の災害復旧事業などは、国からの財政措置がなされるため、地方財政が破たんすることはないが、もしかしたら、チリ地震津波の復旧に際し、財政面がネックになっていた可能性があるのかもしれない...

行きに通った道をほぼトレースし、合庁に帰還する。業務終了後、大手ショッピングセンターにより、牛乳や半額になったパック寿司を買い求める。
帰宅後、しょうゆを忘れた事に気付いて心拍数が200近くに達するが、今日は有人レジを利用したので、店員さんが気を利かせてくれていた。

20:45からのNHK地域ニュースでは、53年前にチリ地震津波があったこの日に合わせて、南三陸町の小学校では津波避難訓練が行われたと報じていた。
1960年5月24日から2011年3月11日までの出来事を、いろいろな角度から掘り下げてみることが、将来のためになるのかもしれない。