2013年7月14日日曜日

#170 未来予想 -20年- 2日目

体が重い...しかし、1日を無駄にするわけには行かないので、ガッツで起床する。昨日とは違って、今日は雲が多い。しかし、天気が崩れることはなさそうだ。

朝食を摂って、身支度を整えていたら9時前。島を反時計回りする方向に出発する。
宿の地盤高は3m 奥はフェリーターミナル
宿の近くに、観音山地滑りの後がある。北海道南西沖地震と同時に地すべりが発生、麓の旅館を押しつぶし、旅行客をはじめ多数が犠牲となった。その後対策工が実施され、緑化が進んでいた。
ガソリンスタンド背後
島を周回する道路を北上する。島はそのほとんどが防潮堤で囲まれている。
低い防潮堤もある
吹付枠工を施行中
いわゆる堤名盤、木製の標柱が北海道の標準のようだ
しばらく北上していると、ぽっこりとした岩の上に社が鎮座している宮津弁天社が見えた。ひとまずお参りすることに。
ぽっこり
絶望の階段...
奥尻島は、リアス式海岸とは趣きが異なっており、海沿いは殆どが直線的な断崖になっている。三陸でも、宮古以北と雰囲気が似ているような気がする。その断崖の麓に道路が通っているので、斜面対策が必然となってくる。
鬼のような法枠
しばらくすると、勘太浜という集落に着く。集落を襲った津波の高さは9mで、同じ高さの防潮堤が築かれている。
防潮堤に囲まれた集落
津波高さはTP+9m
集落と防潮堤の位置関係
ウニ。鳥に横取りされる。
これから自分が担当する防潮堤の高さは、シミュレーションで導かれた高さに余裕高1mを加えた8.7m。ちょうど、今見ているものとほぼ同じ高さ。図面を見ているだけではなかなかイメージが湧きにくいが、こうやって現物を目の当たりにすると、その規模からやや緊張する。
高さだけでとらえれば、これに匹敵する治山堰堤も担当したことがあるが、直線的で延長も長く、また視界を遮るものもないと、様相が大きく異なる。
こうやって、あらゆる意味でインパクトのあるものを手掛けることに、若干のプレッシャーも感じる...

そして、島の最北端にある「賽の河原」へ。奥尻島でも有数の観光スポットだけあって、土産物屋もあり、賑わっている。土産物屋で、宇苗満著の「奥尻島」という本を買い求めた。
若干、物悲しい
隣接する稲穂地区の慰霊碑
一羽のカラスが舞い降りる
少しだけ、石を積んでみる
隣接する稲穂地区へ足を進める。防潮堤の背後を5m盛土し、新たに街が作られた。集落や漁港には人気がほとんどなく、少し寂しく感じた。元々の街を知らないので何とも言えないが、漁港特有の密集した集落であれば、少ない人でももう少し賑わいを感じるのだろうか...
漁村に長らく住まわれている方にとって、今の集落は違和感のあるものなのかもしれない。しかし、防潮堤で守られた街で育った自分にとっては、むしろ当たり前のように感じ、特に違和感を覚えることはなかった。
津波高さは9.1m
防潮堤
集落と防潮堤の関係
漁港へのアプローチ
集落内の公園にあった説明板
海栗前の集落も、防潮堤で守られていた。
集落を抜ける道路と防潮堤
津波高さは9.1m
高所から集落を眺める
短い未舗装路を抜けると、牧場が広がる。奥尻は何でもそろっている。コンパクトに北海道を楽しみたい方にはお勧めかも。
ウシ
途中、「復興の森」という看板を見つける。国有林との分収林だが、なんと天然林!地元の建設業者と契約が締結されており、資源を得るというわけではなく、整備を行うための契約のようだ。三重でいうところの「企業の森」に近いと思われる。
良く整備された走りやすい道を行くと、幌内地区に出る。震災以前は僅かな集落や温泉があったようだが、現在は無人。防潮堤が転倒したまま打ち捨てられている。
いくつかのトンネルを抜け、神威脇温泉にたどり着く。ややレトロな雰囲気の建物で、かけ流しの温泉を楽しめる。施設は...だが、熱めのナトリウム泉は泉質も良好な感じがした。
2Fの展望風呂がお勧め
教育委員会発行の広報誌。秀逸。
奥尻島の西海岸は、この神威脇の集落しかなく、あとはひたすら海岸線沿いの道を進むことになる。
流政之作の彫刻が並ぶ北追岬
神威脇集落遠景
防潮堤に必ず埋め込まれている「基石」。碁石ではない。
モッ立岩
モッ立岩の説明。書籍とは異なるような...
ホヤ石
ホヤ石川水力発電所。奥尻の電力はすべて...かどうか不明
途中、人影もほとんどなく、ある意味北海道らしいと言えば北海道らしい風景の中を走っていると、山腹に黄色い看板を見かける。津波の遡上した高さを表している標識。
23.3m
別アングル
どれくらい高いか比較
しばらく走り、坂を上ったところで田んぼが広がった。離島では世界最北限と言われる田んぼである。冷涼な気候のせいだと思われるが、おそらく田植えも遅いので、まだ稲はそれほど大きく育っていなかった。奥尻には本当に何でもそろっており、北海道の縮図なのでは?と思ってしまう。
空港にチラ寄りし、再度青苗の集落へ。西海岸では食料調達が出来なかったので、再度室津まつり会場へ。焼きそばで腹ごしらえをする。
街が閑散としているのは、ここに人が集まっているから...
おそらく、震災時に寄贈されたと思われるメルセデスのバンが未だ現役。さすがドイツ車...
ブリのセリ
改めて、青苗の街へ。
公園から眺める街は、漁村らしくない。
公園に設置されている整備概要の説明版
そして、青苗漁港をうろうろしてみる。
防潮堤の嵩上げ工事中
既設と嵩上げ
漁港から街を望む
漁港で少し佇んでいたら、ねまっている漁師さんから「兄ちゃん、こっち!」と声を掛けられた。
80代の方1名、70代の方2名と少し話をすることに。津波から逃げ延びた3名に、自分が気仙沼から何のためにやってきたのか話をした。
気仙沼の話、奥尻ではふぐは食べないなどの話、、漁の話、いろいろ聞かせていただいた。
何でも釣れる魔法の仕掛け「たこ」
今の街について、率直に質問してみた。
こういったハードの整備された街に暮らすことには、特に感想はないと。
街づくりを行う際に、もめなかったかと聞くと、地盤の高さは議論になったが、みんな知っている者同士、特にもめることはなかったと。
そして、防潮堤が出来たおかげで、台風や「やませ」でも波をかぶることがなくなったことが良かったと仰っていた。また、高波には離岸堤の効果が高いこと、そして、津波に対抗するには10m以上はいるだろうとも...
そして、50代の方も輪に加わった。気仙沼へのアイデアをいただき、そして人工地盤「望海橋」の劣化について教えてもらった。

ふと、酒は飲むかと訊ねられる。そして、ツブ貝を食べたことがあるかとも。この時、昨日の酩酊状態の理由が判明した。ツブ貝はとってもデンジャラスな食べ物である!!

さらにもう一人、50代の漁師さんも加わって、しばらくするとやや流れ解散となり、自分も離脱する。地元の人と話をしたいと思っていた矢先、わずか数名とはいえ、こうやって生の声を聴くことが出来たのは本当に良かった。

改めて、望海橋へ。指摘の通り、確かにカルシウムの溶出が認められた。

日暮れも近いづいてきたので、一路東海岸を北へ。途中、松江という集落にある避難階段を昇ってみることにした。
かなり高い所へ
入口には草が生い茂っている...
最上部から
手すりに設置されているライト
避難階段は取り立てて急というわけではなく、健常者であれば難なく昇ることが出来る。ただし、草が著しく繁茂していること、最上部は道路建設現場となっていて、行き過ぎると急な下り法面に出てしまうことが難点。三重県南部ではこのタイプでも問題なさそうだが、厳冬期には大変辛い避難になってしまいそうだ...

そして、日没前になんとか奥尻一のビュースポット、球島山に向かう。しかし、残念ながらガスってきてしまった。明日もう一度訪れよう。
小さく、鍋つる岩が見える
昨日と同じく、最後の組で夕食となる。とても元気なおばさまに振り回されることになるが、幸い今日はツブ貝は出ていない。女将さんから「ホヤって食べたことないでしょ?」と訊ねられるが、いえ、こちとら気仙沼から来てるんで!と。
実は、このメニューに得意なものはあまりない...
2階のベランダから、まぶしいくらいの漁火が見える。イカ漁が真っ盛りだ。

曇天のせいもあるが、漁火で星が見えない。奥尻島2日目も無事に終わった。