2013年10月11日金曜日

#259 薄れゆく記憶、甦る絆

あまりよく寝つけなかった、というより殆ど眠れなかった。朦朧とした状態だが、N先輩に夜明け前の気仙沼駅まで送っていただく。

気仙沼線の始発で一ノ関へ、そして東北新幹線「はやて」で東京へ。E6系は少し圧迫感のある室内だが、17号車の最後尾の席は、通路を行き来する方も見えないので、静かな空間だった。
新大阪行き「のぞみ」に乗り換える。臨時だったので、珍しく700系が投入されている、遠慮なく座席で喫煙する。車端部を選択するものの、コンセントすらなかった...
途中、富士山が見える。
名古屋に到着する。ビル壁面に設置された温度表示は29℃を指している。ここしばらく体験していない暑さ...
後、若干のトラブルが発生するものの無事県庁に到着、上司への状況報告を行い、報告書を提出する。偶然にも熊野の業務を引き継いだ後輩が打合せの来ており、今の状況などを聞かせてもらった。慌しい職場の状況からは、被災地からの距離感を感じた。

大学の同級生で同僚のT君と少し話をする。「水上の誰とでも仲良くなる能力は尊敬する。」と。あまり何も思っていなかったが、これは特技なんだろうか...

業務終了後、桑名の店にスタッドレスタイヤを取りに行く。生前、兄が大変懇意にしていた店。タイヤとホイールを注文しておいて亡くなってしまったために、キャンセルする予定だったが取り付けてもらった記憶が。自分から名乗り出ることは、何かを期待しているような雰囲気が出てしまうためあえて語らずにしておいたが、1年の月日が経過すると、いろいろなことを忘れてしまうのには十分に思えた。

ふと、前を見ると宮城ナンバーのクルマが走っていた。何も違和感がなかったが、よく考えたらここは三重だった。

引き続き、桑名の街で悪友T、そして共通の友人であり同級生であるKと、歌行燈本店で焼き蛤を食べながら談笑する。
Kも、被災地の様子を見てみたいとのこと。是非のご来気を期待する。
話が終わらなかったので、河岸を変えてコメダ珈琲へ。そういえば、宮城で店舗を見ていないような気がする。