2014年2月1日土曜日

#372 チーム三陸、始動。

穏やかな晴れの朝を迎える。いつもと同じくらいの時間に起床するが、出かける準備をしていないのでダッシュで準備をする。出発予定時間の1分前に部屋がノックされる。迎えに来てくれたT氏に2分待ってほしいと伝える...

T氏のランエボに乗せてもらい、45号線を南下する。「汚車」となっているクルマを階上の洗車場でざっと洗う。しかし、ダスティーな道を走ることでまた残念なことになる。
結局三陸道を使うこともなく、若干迷いながら石巻市内へ。

待ち合わせ場所の友福丸に到着すると、高知から派遣のO氏が既に待っていた。真面目なO氏らしい。しばらくして、A技師も合流する。開店少し前だったが、すでにもう一組来店。もともとは北上川近くにあったそうだが、津波で被災したために、バイパス沿いにトレーラーハウスで営業を再開された。
海鮮料理がお勧めなので、自分はブリ漬け丼、T氏は焼きサバ定食、O氏は天ぷら盛り合わせ丼、A技師はうにごはんを食べる。
まいう~©石ちゃん
会計を済ませようとすると、レジの奥にだるまが置かれていた。
食後のデザートに、A技師が連れて行きたいというフロレスタというドーナツの店へ。florestaとは、ポルトガル語で森のこと。林業技師が勢ぞろいしている今日にふさわしい。
引き続き、石巻最大の観光地、サン・ファン館へ。地震、津波により展示施設が大きく損傷したが、昨年の11月3日に復旧が完了した。

入場料を払って中へ。慶長遣欧使節についてはそこそこ調べたつもりだが、展示物には知らないこともたくさん書かれており、来た甲斐があった。
レサシアン風の、怖すぎるソテロ
シミュレーション・シアターの上映時間が迫ってきたので、順番を待つことに。中に入ると、やたら背の立った堀の深く、シートベルトまで備わったバケットシートが並んでいる。ただ映像を見るだけにしては作りが不思議だ。
映像が始まると、機械の動作音とともに、椅子が微妙に動き出す。支倉常長視点で遣欧使節を再現したものだが、航海に合わせて前後左右に激しく揺れる。最大時には下手な遊園地のアトラクションをはるかに上回る動きをする。なめてかかっていたら火傷するところだった。

サン・ファン館最大の自慢、復元されたサン・ファン・バウティスタ号へ。津波による流出は免れたが、その後の強風でマストが折損し、カナダから贈られた木材を利用して復旧することが出来た。
2011年3月11日の状況
長い長いエスカレーターを降り、ドックのような作りになっている係留場所へ。復元過程がパネルで紹介されており、木材からこのような巨大な船を建造することが出来ることに驚きを隠く。
そして、船へ...。
全景
船尾にある常長とビスカイノの居室
メインマスト
穏やかな海とともに
ミュージアムショップなどでお土産を買い求め、引き続き慶長遣欧使節が出帆したとされる場所、月浦へ。
展望台には支倉常長像があったが、すぐ横には仮設住宅が建設されている。おそらく月浦に住まわれる方々の住居と思われるが、狭い場所に窮屈そうに建てられていた。
坂を下りていくと、漁港にたどり着く。
船への水供給に使った南蛮井戸
外洋を望む
東郷平八郎揮毫の記念碑
穏やかな入江から、400年前に当時の日本では最新のテクノロジーを結集した船がノビスパニア(メキシコ)に向かって出航したと思うと、胸が熱くなる。

少し日が傾いてきたので、市内に戻り日和山に向かう。何度か訪ねているが、T氏は初めてだった。
北上川
日和大橋
辺りはすっかり暗くなり、石巻の中心商店街へ。津波に浸水した多くの店が復旧されていたが、ところどころ建物が解体されていたり、シャッターが固く閉ざされていたりしている。バイパス沿いに郊外型店舗が多く存在している苦しい状況だと思うが...

商店街の一角にある、A技師お勧めの四季彩食いまむらへ。落ち着いた雰囲気のお店だが、自分の時間がなくて落ち着いて楽しむことが出来なかった。何を食べてもおいしいので、チャンスがあれば再訪したい。
←A技師 ↑T氏 O氏→
近くのバス停まで歩き、仙台行の高速バスに乗る。市内各地でお客さんを広い、二人掛けの座席に丁度一人づつ。相当本数も多く、800円とリーズナブルで所用時間は1時間20分。2015年度には、仙石線・東北本線直通快速が1時間弱で仙台まで結ぶ予定なので、激しい競争が繰り広げられそうだ。

夜の仙台駅へ。
構内のお店は遅くまで開いているので、手土産を買い求めてから新幹線で白石蔵王へ。
人生初の下車
改札を出ると、W技師が迎えに来てくれていた。クルマで5分ほどのW技師の実家で泊めてもらうことになった。少しお酒をいただきながら、ご母堂が用意してくださったつまみを食べながら、話に花が咲いた。