2014年7月20日日曜日

#541 未来予想 -10年- 1日目

1時に寝たのに4時に目覚ましをセットして、起きられるわけがなかった。ずっと鳴り続けるアラームで薄っすらと目を開けるが、天井からは凄まじい雨音が...心が折れる。そして、6時前に何とか目を覚ますが、雨は止むわけはなかった。悩みに悩むが、準備をして出発することに。しかし、リュックの上からカッパを着ようとしたら、ファスナーが留まらない。やむなくパソコンを置いていくことに。

鳴れない5号機で雨中のドライブは気が進まない。期待通りのコーナリングもできず、ひたすら我慢する。途中、大きめの水たまりに落ちてしまい、防水の靴の中までずぶ濡れになる。

若柳金成ICから東北道へ。ETCがまだ取り付けられていないので、久々に通行券を取って、ポケットにしまう。ある程度距離を稼ぎたいが、やむなく鶴巣SAで小休止。こんな雨の強い中、自分以外にもライダーがいたことには驚く。
引き続き、東北道を南下。福島県に入るころから天候が回復してくる。路面もすっかり乾いたので、安達太良SAでカッパを脱ぐことに。ポケットに入れていた通行券は、案の定ベトベトになっていた。
郡山JCTから磐越道へ。連休中日にも関わらず、道路は空いていた。峠を越えると会津盆地が眼前に広がった。東北最高、とヘルメットの中で叫ぶ。
会津坂下ICで降り、以後は一般道を行くことに。出かけるときに必ず何かを忘れてくるのだが、今回は地図を忘れてきた。スマホを頼りに252号線を進む。
飲み物も飲めなかった...
段々気温が高くなり、夏らしい天気になる。しかし、目的地到達予定時間には絶対に間に合わなくなってしまう。しまった、ずっと高速で行くべきだった。風光明媚な田子倉ダムや六十里越など、景色を楽しむだけで立ち止まって写真を撮る時間はなかった。

新潟県に入ってからも、まだ目的地まで相当の距離があった。291号線に入り山古志に入ったころには、既に14時...

虫亀にある「多菜田」というレストランに着いた時には、営業終了の看板が。併設の直売所の方に声を掛け、店に入る。
わざわざ予約席をご用意いただいていたのに...m(__)m
高田の友人から紹介されたなつこさんに、ようやくお会いすることが出来た。遅刻したことをお詫びし、お手間を掛けないように簡単なものを、と伝えると、野魂(ヤーコン)カレーを用意していただいた。
うまし!みそ汁はおまけ
この店をオープンした経緯を伺う。雪深いこの地を訪れた方がガッカリしないように、おもてなしの気持ちからスタートしたとのこと。地域活性化の補助を活用され、オープンしたのは6年前。地域の特産を活かしたオリジナルメニュー、ご近所のお母さんたちで切り盛りするこのお店は、まさに6次産業といった感じだ。

もっとお話をしっかり聞きたかったところだが、今日しかやっていないイベントを見学するために早々にお店を出ることに。

そして、山古志と言えば牛の角突き。取組はほとんど終わってしまっていたが、何とか山古志闘牛場に滑り込み。入場料は2,000円。場内は沢山の観客でにぎわっていた。
まさに、コロッセオ!
戦いが終わると、勢子が牛を曳く
大きなカブの童話を思い出す
かっこいい法被
入場シーン
ガチンコ勝負
バキッという音とともに、角が折れた...
応急手当
ロゴ入りポロシャツ
すごい迫力!
2階席に取組が表示されている
垂れ幕にも熱いメッセージ
白目が見えている!!
結びの一番で勝ったウシには顔綱が
まさに威風堂々
すべての取組が終了し、場内を少し散策する。
2階席の下にはメッセージボードが
月2回ほど開催されている
グッとくるメッセージ
木陰のパドック
ギロリ
土産物売り場もあり、手ぬぐいやカレー、山古志のDVDなどもろもろ買い求め、会場を後にする。
何よりも感動したのが、勢子のみなさんが会場出口で整列し、見送りを行っていることだった。もしかしたら、本当にちょっとしたことなのかもしれない。しかし、このちょっとしたことが、またこのコロッセオに来たくなる重要なきっかけとなる。
駐車場でモソモソしていたら、交通整理をしているおんつぁんから、テントを片付けるのを手伝ってほしいと頼まれる。四隅を4人で縮めるタイプだったが、3人しかいなかったので、喜んでお手伝いをする。

引き続き、旧山古志村役場へ。山古志村は合併で長岡市となり、今は支所と名付けられている。
敷地内に、やまこし復興交流館おらたるがある。震災の資料展示や、観光案内を行っている。
左の建物が「おらたる」
2階にある展示スペースは、本来は16時で終わり。スタッフの方に尋ねると、まだ来場者がいるので、どうぞと伝えられる。こちらのわがままを何なりと聞いてくれる山古志、もはやそのクオリティはリッツカールトン級である。
館内の様子
ドラム缶の「希望の鐘」
震災の年の積雪深、3.56m
特筆すべきは、立体地図へのプロジェクションマッピングだ。震災がこの地に及ぼしたことだけでなく、自然、暮らし...心を打たれる演出だった。
1階の観光案内所でTシャツなどを買い求め、外へでる。
世界に響け感謝の音
山古志と言えば、錦鯉
美しいコイ
日が暮れないうちに、塩谷へと向かう。
ところどころ、山腹崩壊の跡が見える
激しく崩壊したことがわかるモルタル吹付
慰霊碑
途中で見かけた美しい景色を撮影していると、近くでコイの池を管理していた老爺から話しかけられた。このあたりはよく撮影に来る方がいるそうだが、あまり人が訪ねることのない場所なので、声を掛けてくれたそうだ。地震によって田や養鯉池が被災し、復旧をあきらめた場所があると教えてくれた。
池の輪っかは、コイのエサが広がらないように
老爺に教えてもらった場所から、撮影を行う。

以前この地をを訪れたのは、新潟県中越地震から1か月たった時だった...

避難所運営の職員派遣に手を上げたが、自分は3ターン目となり、2ターンで打ち切りとなってしまい、願いはかなわなかった。
東京大学で行われた日本災害情報学会の大会で、人生初めての発表を行った翌日、大会2日目を途中で抜け出し、上越新幹線に乗って越後湯沢へ。そこでレンタカーを調達し、被災地へと向かった。地理をよく把握していなかったので、宿泊先を確保するために柏崎へ向かうことにした。何も考えずに泊まったホテルの駐車場には、三重ナンバーの車が止まっていた。

翌朝、朝食を摂っていると、横に見覚えのある方が座っていた。母校三重大学の山地保全学研究室の林教授だった。自分が来訪した目的を告げると、近藤助教授(故人)や沼本助手、岩手大学の井良沢先生と急きょ合同調査チームが発足した。
小千谷市役所を訪問して情報収集を行い、県事務所で許可書を発行してもらい、山古志を訪ねた。
大きなギャップのある道路、無人の集落、崩壊した山腹斜面...防災という業務に携わって、初めて目の当たりにする地震被災現場だった。しかし、土砂災害だけでなく水害と同様の被災箇所もあり、理解に苦しんだ...

その被災地が、復興を成し遂げて多くの来客をもてなしている。

長岡市川口を通り、宿泊先の小千谷へと向かう。小高い丘にあるビジネスホテルにチェックインした。
時間も少し遅かったので、簡単な夕食にしようと思ったが、スタッフの方から近所の店もいいですよと聞いたので、表通りへ。いくつかある店の中から、「いいこって」を選ぶ。
賑やかな店内のカウンターに案内される。
 地方都市とは思えない洗練されたおもてなし、オリジナリティが高く、美味しい料理...
 一人で飲んでいるとあっという間に酔っぱらってしまうが、今日はそんなことはなかった。とても気分がよく、この店に来るだけでも、またこの街を訪れる理由になりそうだ。
心地よいひと時を過ごし、静かになった街を再びホテルへと戻った。