2013年11月27日水曜日

#306 continuous

いつもより1時間早く起床する。数日続いていた暖かな朝とは違い、少し寒い。県内でも最も寒い地域に向かうため、先日入手した防寒アイテムなどを鞄に詰め、出発する。

同行するT氏が既に到着しており、しばらくして誰よりも早く出勤するA総括が登場。準備を整えて栗原の事務所へ向かう。窓には少し霜が降りていたので、ワイパーで取り除いた。

登米経由のルートで栗原合庁まではおよそ2時間。前回はプライベートと言え失態を演じてしまったが、今回は予定より30分早く到着することが出来た。
4Fにある林業振興部にお邪魔し、挨拶などをしていると東部のメンバーも到着した。全員が揃ったところで出発となる。自分はN技師が運転するクルマに、高知から派遣の東部のO氏とともに乗せてもらう。
2008年の岩手・宮城内陸地震の復旧状況を見学するため、ひとまず荒砥沢ダムへ。

ダム湖の横にある公園で、宮城北部森林管理署のK室長と合流。荒砥沢地すべりの遠景を眺めながら説明を受けることに。以前訪れたときは良くわからなかったが、内容をようやく把握することが出来た。
荒砥沢地すべりは、1300m×900mの範囲が、およそ300m移動したという。正直、そのスケールを測りかねる。移動した土塊の上には、以前と変わらず木々が茂っており、切り離された道路もそのまま残っている。
土塊は移動していないとのことで、現在は浸食を防止するための緑化や、流路工の設置が行われている。
中央右が土塊
栗原市ではジオパーク構想が進められており、この公園にも以前は見られなかった説明看板が取り付けられていた。
いよいよ、移動土塊に向かう。まずは、土塊と動いていない地山との接触箇所へ。
←土塊 ↑集水井 地山→
←地山 土塊→
土塊はシルトであり、例えるならチョークの粉のような状態である。常に浸食が進んでいる状況。
また、この奥には集水井が掘削されており、大量の地下水が排出されている。
さらに奥へ向かい、流路工の建設が進められている場所へ。周辺の足元は田んぼのような状態になっていた。構造物は不安定な地盤上に設けられているため、沈下時などの変形に追従できるように鋼製となっている。
さらに奥へ。滑落崖付近は俄かに信じがたい光景が広がっていた。
高さおよそ150m
ぶら下がるガードレール
こういった自然災害で発生した地形、一方は学術的に価値があるものなので保存を、一方は下流のダムに影響するから対策を、というジレンマ。悩ましい...

引き続き、滑落崖を上から眺めることに。上に乗った固い岩が、下のやわらかい岩を押しつぶすために、上の岩の重みを減らすために排土したとのこと。状況を理解することが難しいくらいの規模。
荒砥沢を離れ、冷沢(ひやしざわ)へ。この場所へ来たのは3回目だ。元々は狭い渓流だったが、地震後に大きくえぐられてしまった。渓流には谷止工が設置され、崩壊した斜面には法枠が施工されている。支障木を再生したチップが斜面に吹き付けられているのが印象的だった。
自らが植樹を行った現場を遠目に眺める。おそらく問題なく育っているはずだ...
少し遅くなったが、昼食に向かう。栗原耕英地区では岩魚が名産であり、今日訪ねた「数又」は全国で初めて岩魚の養殖に成功するという偉業を成し遂げている。店の周辺には雪が残っており、環境の過去さを物語っていた。
味わい深い建物
おいしい!
食事後に宮城北部森林管理署の方と分かれ、旧花山村へと向かう。地震により発生した山腹崩壊を復旧する工事を行っている現場だった。
地震時には、モノレールに乗車していた作業員3名が犠牲になっている。斜面整形にリモコン式ロッククライミングマシンを使うなど、かなり苦労を重ねている現場だった。
T氏と少し意見交換をする。このような現場をどう対処するか。我々だったら別の合理的なアプローチで臨むだろうと意見が一致した。

スタート地点に戻り、解散となる。帰りは金成経由としたが、登米経由とほとんど時間が変わらなかった。

業務終了後、エスポワールで夕食となる。カウンターで話をされている方が、最近は結婚式をすぐに挙げない人たちが多いと話されている。場所を変えたり、日を変えたり...震災の影響があるのだろうか、気になる。